存哉ノートINDEX

俳句と雑文。回転パネル、左右可。存哉(ありや)

栖雫抄 せいだしょう

2024年〜。
コロナも下火、とは言え年頭から天変地異や領土侵犯等々、安穏な日常にずっぽりの用無き身の忸怩いや増すばかり。世に栖むこと粛々と雫の如く、口遊む句もぽつんぽつん。BGMの”Peace piece”、つまり”平和の欠けら”まさにこれ栖雫の如し。

栖雫抄 5編 #469-#473 (続)

俳釈・オルフォイスに捧げるソネット

学生時代や会社勤めでは果たせなかった原書の翻訳を思い立った。狙いは詩人の詩想に触発されて、日頃の俳句創作の視点の再構築?と気負ってみた。が、語学の壁は言わずもがな文化や資質の壁に手古摺るばかり。途中で投げ出したが、いささかの収穫があったようなのでメモしておいた。

俳釈・オルフォイスに捧げるソネット

存哉俳句試論 〜肘枕紫煙雑感

老いて用済みの身になって知る孤独、少年・青年の頃の淡い詩人願望・・・、なぜ今俳句なのか、なんとも忸怩たる思いではあるが、日々の頼りはわずかに五七五。すなおに詠めばいいものを、どうしても構えてしまう癖が出て、武装の言い訳虫が疼き出す。

存哉俳句試論

凛々抄 りんりんしょう

2003年春〜2006年夏。
春の或る日、小坪の岬から相模湾の江の島・富士を眺めていてふと一句、「行く末の船出江の島春の潮」。これが定年退職人、しかも生涯初の発句だった!

凛々抄1 凛々抄2 凛々抄3
 3題計126編 #001-#126 (了)

而今抄 じこんしょう

2006年晩夏。
ただ気の向くままにその時々の感慨・感興を短い言葉に表す、そうではなくもっと積極的に「この瞬間」を意識した言明こそが要る、そうした心構えみたいなものが欲しかった。そんな時、道元の喝句「而今」に遭遇した。

而今抄 33編 #127-#159 (了)

岩妊抄 がんじんしょう

2007年。
「引籠り影また翳む冬至かな」などと気弱になっていた頃、道元さんの正法眼蔵にある不思議な言葉「青山常運歩、石女夜生児(山水経)」に出会う。岩が児を妊む、これだ!と、今年のセントラルドグマが決まった。

岩妊抄 26編 #160-#185 (了)

漸然抄 ぜんねんしょう

2008年。
累計2000余句、だらだらと俳句を捻っている日々が、なんだか果てしなく空しく感じられていたが、「初夢やシラノの恋の霜衣」が出て、”漸々(ようよう)至りて然(しか)あり”のこころも善かれと、またの励みとやせん。

漸然抄 34編 #186-#219 (了)

聴心抄 ちょうしんしょう

2009年。
「見る」のではなくむしろ対象や状況に耳を澄ます、すると幾倍にもなって言葉が自ずから溢れだす・・・「よく聴けば薺ぞ語る量子論」。これこれ、リルケも「見る人から聴く人」になって世界内界空間に至ったとか。

聴心抄 39編 #220-#258 (了)

悉音抄 てんのんしょう

2010年。
森羅万象、色香形状あるもの悉く一方では音となって世に現れる。人はこれを音(オト)として、あるいは言葉としても受信する。なんと有難く忝(かたじけな)きことだろう!「風に寄す寒暮忝きト書」。いよいよ耳を澄まそうぞ。

悉音抄 27編 #259-#285 (了)

茫巾抄 ぼうきんしょう

2011年。
大地震、大津波、それに原発の惨事が襲った。図らずもその数日前、のどかな海岸の散策で「春の海悔い瞬きのサラバンド」などとものしていたが、人知の浅はかさと脆さに一撃を喰らった。それでも人は夢を追う・・・「夢の粗織(あらおり)」。

茫巾抄 24編 #286-#309 (了)

篆雲抄 てんうんしょう

2012年。
漱石の「草枕」の一節、葛湯を煉りながら浮かんだ漢詩「青春二三月。愁随芳草長。閑花落空庭。素琴横虚堂。蛸掛不動。篆煙繞竹梁。」あり。この「篆煙」のように、やがてものみな立ち登る雲となり空遠く消えてゆく・・・。

篆雲抄 26編 #310-#335 (了)

響還抄 きょうかんしょう

2013年。
聞く者の在りや無しやいざ知らず、いのちあるものの全てがその故郷へ還るとき、どこやら吹いてきた風の口添えで、終の棲家へ導かれ給うらし・・・。「玉響の夢や還らん冬御空」まっこと、風は神様仏様。

響還抄 22編 #336-#357 (了)

飜顛抄 ほんてんしょう

2014年。
自称俳歴10年、4000余句、日々の呼吸の如し。迷っても所詮身の程、俳諧の本来”飜意顛狂”を旨とせんか。「初日の出出れば用済み旅独り」、残り一桁の余生、気まゝにするに如かず。”さらば仮庵”・・・。

飜顛抄 20編 #358-#377 (了)

訛鶯抄 かおうしょう

2015年。
東北の田舎町の少年に、或る時、湘南への憧れが宿った。そこには新しい知性や哲学があり、青春や恋がある筈だった、がそれから半世紀、借家の窓辺で小坪訛りに啼く鶯を聴いている、幼女と化した妻の介助に憔悴した遠耳に・・・「湘南に焦がれ訛りの初音かな」。

訛鶯抄 22編 #378-#399 (了)

侶月抄 りょげつしょう

2016年。
太陽は万物の長ではあるが、熱く眩しく、とてもまともに顔向けは出来ない。気も衰えた独居老人には、やはりゆっくり話せる月がいい、ましてや高次の脳機能を失った老妻に代わって、相槌を打ってくれるものは他には居ない・・・、「食うて寝て急ぐ夢路や冬の月」。

侶月抄 22編 #400-421 (了)

華筐抄 かきょうしょう

2017年。
昨日の夕食が何だったか思い出せなくなった。食べたことさえ忘れてしまう老妻をどうのと言えたものではない。その日どころか瞬時瞬時だけが命に思われて唖然とする。流れ行く時の畔で、折々の思いを花筐に摘んでは捨てを繰り返し・・・、「初入日幾つかなしみ花筐」。

華筐抄 17編 #422-438 (了)

尽々抄 じんじんしょう

2018年〜2019年。
初日の出を迎える度に何か一つでも変えねばと思うが、初雪だ春一だと言ってる間に早や花吹雪の頃とはなってしまった。干潮の磯辺に佇み、霞の彼方へ消えゆく花びらを見送っている老骨に、残されたものの少なさのみが身に沁みる・・・、「仕手は風花は尽々(つくづく)今日の脇」。

尽々抄 16編 #439-454 (了)

燦々抄 さんさんしょう

2020年〜2023年。
2019年の暮れから始まった新型コロナウィルス、外出も老人施設への訪問も制限され儘ならぬ日常を強いられる。閉じこもって何かが過ぎるのを待つ、まるで”過越しの日々”、さ無きだに貧困な詩想、散々である。開き直って”燦々”苦吟!

燦々抄 14編 #455-468 (了)

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